噛み潰した苦虫が奥歯に詰まって取れない

ほろ苦いどころじゃねえんだよな

アンチ・ハレルヤ


終わって、そして始まって。
全ての終わりをまた何かの始まりだなんて言えるかもしれないし、始まりが何かしら終わりを意味してることだってあるかもしれない。
どちらともなんとなく過去の事象に当てはめられるような気がするものだ。



そんな多々ある「終わり」と「始まり」を、なんだか沢山味わっていた、ここ数日である。自分が生きてしまっている限り、自分をとりまく環境や状況は変わっていくものなのだ、絶対変わらないなんてものは、ないのだな…と、なんだか置いてきぼりを喰らったような気持ちでぼんやり考えている。心はいつも追いつけないのだ。
終わって始まって始まって終わって?これも終わって?あれは始まったばかりか?僕の周りをビュンビュンと、グルグルと。何が何だかわからなくなるね。

相変わらず感性が腐りきっているせいで、それらに対し上手に喜んだり悲しんだり出来ないのが、残念。もっと泣いて笑って怒って楽しんで、というのが出来たらもっと気持ちの整理がつくのかなあ。
まあそんな不可能なことをボソボソ言ってても仕方ないんですけどね。




ああ、君は最近どう?僕はこの前iPodを新調したのでそれ以来音楽を聴くのが楽しいです。でもやっぱり先代のiPod classicのホイールが恋しいな。指でくるくるくる〜ってやりたい。
お絵かきもまた再開したよ。ひさしぶりにちゃんとした絵を描こうとしたら案も浮かばないしバランスも取れないし!少し悲しいけど、リハビリ感覚でもう少しだけユルユルとやってみるか、という気持ち。



あと、相変わらず死にたくて死にたくて死にたくてたまらない。
こういう気持ちって、どんなに「楽しい!」と思うことや「幸せだなあ」と思うことがあっても無くなるものじゃないんだよな。むしろそれらに比例して増えている気がしなくもない。
「今日は楽しかったな〜」のすぐあとに「死にてえな〜」が口から出た時は流石に自分の耳を疑ったけど。でもそういうことってあるよね。

死にたいとか辛い苦しいとかは、やはり楽しさや幸せで完全に無くしてしまえるようなものじゃないから、その原因を含めそれ自体を何とかして消さないと、完全には消えないな。何とかして消すって時点で最難関すぎるのだけど。
なんかもう「消えたい×楽しい×死にたい」の異素材ミックスコーデみたいな人生になってる。


きっと他人と比べちゃ大した悩みも無いくせに「世界で一番不幸」みてえな気分になるのが得意になってしまった。そしてたまに自分を見返して「いや、もしかしたらそんなに大したことないのか…?」と事の小ささを認識するのが一番怖いのだ。被害妄想ってこんなに膨らむのか!とゾッとするくらい膨らんでいるようで。なんだよ。パン生地かよ。一次発酵かよ。


…なのに昔からごく普通の想像や妄想は超が付くほどの不得意なのである。昔から。小説を書こうと思い立ち、何日考えても全く何のストーリーも設定なんかも思いつくことが出来ず断念したり。作詞作曲とかできたらかっこいい!とか思い立つも結局全く何も作ることが出来ず断念。駄作が出来る、ならまだいい。全く何も出来ないから困る。ほぼ思考停止状態なのか、ゼロから何かを想像するのが大の苦手なのか。曲を聴いてイメージを膨らます、なんてのも苦手だ。
それに、小さい子供ってなんだか色とりどりのクレヨンで色とりどりの絵を描くじゃないですか。ゾウさんをピンクにしたりキリンを水色にしたり、するじゃないですか。あれが出来なかった。
「海の生き物を描きましょう〜!」みたいな時間に他の子の絵を見て「本物とぜんぜん色が違う!その色は間違ってる!」って妙に腹立たしく感じるような子供だったので、たぶん「自由な発想」みたいなのが昔から全然できなかったんだと思う。
ツマラナイ人間、ここから始まってたのか。いや、僕の人生この時点で終了していたのか。…どっちでもいいか。



追いつくことも出来ないような速さで過ぎる物事が急停止したとき、疲弊しノロノロと歩いてた僕の目の前に急に現れるそれにハッとして。まるで胸を鋭利なもので刺されるような感覚がして、泣きそうになったり堪らず腕を掻きむしってしまったりする。そんな日々だけど、毎日何かが終わって何かが始まって、それを少しずつでも自分の五感で理解していけたら、少しはこんなダメダメなつまらないクソ人間の人生も変わっていくだろうか。ああ、なるべく幸せな始まりと終わりに出逢いたいな。

グラス


どうやら僕は、ほんの少しだけだろうけど記憶力が良いらしい。


出会った時期もしくはその人を認識した時期、会話の内容、その時の状況や季節や情景、相手の仕草や風貌。
仲の良い人や興味を持った人、心を許した人とのことは、細かいところまで、嫌になるほど覚えていたりする。


これは全く良いことだとは思えない。自分にしっかり記憶がある会話すら、相手の記憶には無い、ということのほうが圧倒的に多い。(自分が誰からも興味関心の持たれないつまらない人間であることの証拠かもしれないが)とにかく自分ばっかり沢山の事を覚えていることに、自分の執念深さや重苦しさを感じて嫌気が差す。

きっとこれらの記憶に意味なんてないから、今すぐに全部消えて欲しいところだ。そして全ての人に対し無関心でありたい。一方的に興味関心を抱かなければいいのだろう。きっと。どんなに大切な人だとしても。大切に思ってしまうからこそ、自分だけこんなにたくさんの事を認識して記憶してしまう、というのが一番苦しいのである。


そもそも他人の顔と名前を一致させるのは苦手なのに(これは私が他人の顔を直視できないことに問題があるのだが)、なんてバランスの取れない記憶の仕方なのだろう。誰の存在もまあまあの早さで認識し、まあまあの記憶で、まあまあ適当に関わっていけたら、きっともう少し気楽に生きられるのかも知れない、と思う。


記憶力が良いのか、単に「何でも根に持ちやすい」のか、何だか後者のような気もするが、どちらだとしても今の自分には腹立たしさしかない。


それにしても、良い思い出よりも悪い思い出のほうが記憶に残ってしまいがちなのに、いざ誰かと決別(理由は様々だが)しようとすると、その人との楽しかった記憶や笑顔が頭に浮かんでしまうのは何故なのだろう。元々希薄な人間関係をこれ以上薄くしないようにと自分自身の深層部で操作しているのだろうか。それはそれでちょっと余計なお世話だなって思う。どうせ一生ぼっちなんだから放っておいてくれ給え。


あぁもういっそ自分のことなどみんな忘れてしまえばいいのにな、自分ことを誰も認識しなくなってしまえばいいのにな、と思ったりする。そしたら人間関係の柵も無くなるかしら?どうせ誰の記憶にも残らないのなら一夜限りの関係だって今まで以上に容易いんだろう。そして僕自身も誰のことも覚えてなくて済むのなら。どうやら僕は沢山の記憶や念(嫉妬や色情因縁も含む)に囚われすぎているのだ。

よく「割り切った関係」なんて言葉を聞くけど、実際表向きそういう関係だったとしても僕は全然割り切れないヨ、なんてことがあまりにも多すぎた。何だよ、セフレに恋してしまって自殺しようとするとか、ただのクソ女じゃないか(過去の話だが)。そのくせに「あなたになんて興味も何も無いから、身体だけの関係だから、この関係に納得してるから」みたいな感じを醸し出せるのが困ったところである。いやクソ女ならクソ女らしくクソ女感を全面に出せよ。だから「都合のいい女」になっちまうんだろうが。


これ以上色情云々の話をするとどんどん死にたくなるのでやめておこう、と思いながら体勢を変えたらジーンズの膝部分に謎の血痕のようなものがあることに気が付いた。なんだよ。いつのだよこれ。全く思い出せないんだけど何なんだよこれ。とりあえず帰ったら薄めた漂白剤で手洗いしてみるか。なんでこういう記憶は残ってないんだ。本当にアンバランス過ぎる。



恋人に「お前は極端すぎるんだ、ゼロか百しかないのか」と説教を受けたことを思い出して死にたくなってきたのでこの辺りでやめておこうと思う。

何事も、バランスが、大事なのだ。

サボテン

たとえ間違いだとしても。僕自身がそう思わなければ、それは間違いではないということだ。そうだ。間違ってないと思えばいい。
まぁ飽く迄「僕の中ではな!」ということだが。



こうやって自分を正当化し続けて早23年。お父さんお母さん、僕はこんなどうしようもない人間になりました。
前向きなことを言うのも得意になりました。口先だけならなんだって言えるからね。



ほんのちょっと違う道を歩めば僕だってクソみたいな不良になれたんだと思う。 そんな勇気があればね。
逆に僕の苦手だったクソみたいな不良達の中にも内面僕みたいな奴がいるのかもしれない、と思うと少しだけ許せそうな気もする。人間やっぱり話してみないとわからないことが沢山あると思う。話すのが苦手、それだけで少し損をしているような気もする。だから何だって話。


一人酒して寝落ちし、起きてからまた余った酒とつまみを喰らい、気が付けば昼過ぎ。時間の使い方が贅沢なのか無駄なのか。
とりあえずシャワーを浴び、身だしなみを整えて外に出る。なんだか賑やかだなと思ったら今日は夏祭りの日らしく、ちょっとは夏らしい気分を味わいたくなったので出店で串焼きを購入し喰らう。口腔内がすぐボロボロになったのはきっと日頃の栄養不足のせいだろう。少し反省した。
本当はこのまま買い物に行くつもりだったのだが、人混みに疲れてカフェでだらだらと煙草を吸っている。体力の消費スピードが早すぎる。
たまの休日、こんな日があってもまあいいか。いいよね。ダメと言われても「すみません」って言いながらこんな過ごし方をすると思う。




「逃げ場がない」
最近の生活でやや頻繁に感じることである。まぁ何をもって「逃げ場」というのかは自分でもよくわかっていないが。
「どこにも逃げられないなら、立ち向かうしかないじゃないか」
その一心でこの二週間を乗り切ったことには自分でも驚く。本当に逃げ場がないと、こうなるのか。火事場の馬鹿力か。
実際乗り切ろうとする最中、ほんの少しの救いの手が差し伸べられたりもした。今考えるとある意味「魔の手」だったのかもしれない。でもそれでここまで来られたのだからきっと良かったのだろう。間違いじゃあ、ない。



いよいよ、なところまで来た。この先のことを「前進」というのか「陥落」というのかについては、知らないし知りたくないし知らないふりをしたい。なるようになるし、なるようにしかならない。
落ちようが進もうが自分ひとりでどうにでも出来る、という根拠のない自信がある。これは一種の諦めなのかもしれないが。

何を自由というのかは人によって異なるかもしれないが、これを自由というのなら今後何があっても死守してやろうと思う。洗練された都会さはそこには無く、むしろ血生臭く泥まみれな気分だが。野良犬のような自由さだと思うことにする。きっと我が生死すら掌中にあって、投げ出すも握り締めるも僕自身が決められる筈である。



ただ、いまは、自分の人生を全力で生きて、本当に死ぬしかなくなったら潔く死んでやろうという気持ち。
今も「死ぬしかない、もう無理だ」という気持ちは強いが、それが全身を蝕むまではまだ時間がある気がするのだ。



ここ暫くきっと色々なものに奪われていた「自分らしさ」みたいなやつを、全力で奪い返してやろうと思う。手段は選ばない。死にたいけれど、死ぬのはそれからだ。逃げてばかりの人生に少しは自分から立ち向かうのもアリなのかもしれない。自分のペースで。

「ところであなた誰?私を撃ち抜くの?」



眼球を痛めてしまったせいで、しばらく眼帯を装着して生活していた。
普通にキツイ。眼帯をなめてた。何だあれは。
視野が狭いし距離感がうまく掴めないのでとにかく左半身を障害物にぶつけまくった。ここ数日の眼帯生活で僕の左半身はボロボロだ。しかし左手首に関しては自分でボロボロにしたので大丈夫だ。いや、何が大丈夫なんだ。全然大丈夫じゃない。


ちなみに周囲の人達は「大丈夫?目、どうしたの?」派と「え、めっちゃ似合うじゃん!そういうファッション?」派に分かれた。いや、ファッションでこんな不自由なもの身につけたくない。さっきも言った通り左半身ボロボロなんだぞ。お洒落は我慢!じゃねえんだよ。雪国でミニスカート履くよりレベル高いよ。


さて、もう今や七月下旬に差し掛かり、どの授業も試験試験アンド試験、たまに長文レポート提出、といった具合に所謂「締め括り」期間になっている。
レポートは全部書き終わった。それだけで卒業に一歩近づいた気分だ。気が早いにも程がある。僕の単純さは侮れないのかもしれない。


卒業したらどうすんの。

という問いには全く答えられずにいる。
とりあえずラブホテルの室内清掃のバイトは今月末で辞める。同じバイトを一年と三ヶ月続けるなんて過去最長記録だ。今までが全然続かなかっただけなのか。


一応の予定は立てているものの、それが実現する気配は全くない。困ったなあ。まあイザとなったら死ねばいいか。むしろ何でこんなになるまで死ななかったのか。死んでおけばよかった。

しかし自殺は(自傷行為も)ダメだ!と言い張る派の意見に「悲しむ人がいるから」なんてのがあるけど、自分が辛さ苦しさから解放されたいのにその気持ちを押し殺して他人の感情を優先させなきゃいけないなんて、そんなの自分がもっと苦しくなってしまうよ。皆そんなに器用に生きてるの?尊敬しちゃう。でもそういうこと言うのが一般的なのかもしれないね。どうせなら「悲しむ人がいる」じゃなくて「私が悲しいから」って言われたいな。何ならそれが本音じゃなくてもいい。はいはいどうせ面倒臭い女ですよぉ。

まあ都会のアパートで孤独死、なんてのも、いかにも現代人って感じだし、それはそれで良い気がする。僕もついに都会っ子の仲間入りかもしれない。シティーガールっていうのかしら。これぞ「死にたIN THE CITY」って感じ。お洒落でスマート、それでいて雑然としている都会の中で感じる孤独たるや。あー寂しい。



こんなことをグダラグダラと考えながら無駄に日当たりの良いボロアパートの角部屋のカーテンを閉め切って震えて過ごす20代前半である。困った。もうすぐ「23才の夏休み」である。ここまで生きてしまった、が正解なのか、ここまで生きてこられた、が正解なのか全く分からない。生命維持が面倒くさい。食事は基本一日一食。外に出るのが怖いからと授業を休み続けた結果の留年生活。休日はもっぱら部屋に引き篭もり、丑三つ時にようやくコソコソとコンビニへ出掛けるという有様。前世は夜な夜な街灯に集まる虫か何かだったのかもしれない。
部屋に引きこもっていてもインターホンやスマホの着信音に怯える羽目になる。インターホンなんて心臓に悪いモン鳴らすんじゃねえ。こんな私になんの用があるってんだ。私のことなんて無視して帰ってくれ。頼むから。

東北のド田舎から首都圏近辺に引っ越してきた頃の僕は流石にここまで落ちぶれた生活を送っているなんて想像出来ていなかったはずである。何なんだよこれは。




こんなことをスマホで打ち込みながら大学のトイレに篭っていたが(人のいない時間帯だから大丈夫だろう)、立ち上がる際に立ちくらみを起こして個室内の壁に設置してある「便座除菌用アルコールスプレー」に額を強打した。クラクラするし痛いし最悪である。
更に「センサーに手をかざすと水が流れます」と書いてあるセンサーボタンに手をずっとかざしていたのに全然水が流れなかった。何回も手をかざし続けてやっと流れたが、センサーにまで無視される人生って一体何なんだ。ちまなこ実は死んでる説、ここに来て濃厚になる。



どうやら梅雨明け宣言されたらしいね。夏本番だ。23才の夏休みは少しでも心穏やかに過ごしたいね。無理かなあ。その前に暑さにやられそう。無事に生きたいな。アハハ。

満開の太陽の下



新しい記事を書こうと思い立ってから数日が経過した。そのお陰で一番書きたかったことがなんだったのか全く思い出せない。なんかすごく書きたかったことがある気がするのだが気のせいだったのだろうか。
最近便秘が治らないこと?ゴキブリをひたすら10分近く見つめ続けたこと?大学の同期からの誕生日プレゼントがフリーメイソンモチーフのアクセサリーと瓶ビールだったこと?羽が生えたこと?深爪したこと?シルバーリングが黒くなったこと?帰ってきたら話すね〜じゃねんだよ、なんでそうやって直ぐネタに走ろうとするんだオマエは。

あーもうよくわからん。生理前からずっと腹筋とか腕立てとかしてるせいで今現在の腹部の痛みが生理痛なのか腹筋の筋肉痛なのか判別つかないし、今月以降の将来ビジョンも真っ白だし、ダイエットサプリの副作用のおかげで万年睡眠不足が更に眠れないし、久々に前髪をパッツンにしたらブルゾンちえみみたいになるし、愛されたかったはずなのに窮屈に感じるし、でも未だ愛に飢えているように感じるし、やたら視界がゆらゆら揺らぐし、リスカやめられたと思ったら今度は気がついたら腕の皮が剥けるくらい強くガリガリ引っ掻いたりしてるし、フェイスブックで自虐を交えながらも頑張って書いたちょっと前向きな文章をイイネ!されるたびに腹が立つし。
何がイイネ!だよ全然良くねえだろ留年してんだぞ留年、そりゃ普通にまともに生きられてるやつは「ウケるwww頑張れwww」くらいのノリでイイネ!するんだろうけどな。そういうのが嫌なら書くなよって話だった。そもそもどうにかして自虐を交えないと前向きな文章が書けないというのがおかしい。

あーもう何の話をしてるんだよ。ダイエットも停滞期だし。何でダイエットしてるんだっけ。ああ今年の夏こそビキニを着るとか宣言したんだ。まあビキニなんて着ても着なくてもいいんだけど。とりあえずどんどん体重が減っていくのが楽しいからゲーム感覚になってるような気もする。まあ肥満体よりは痩せてるほうがいいだろう。あー性転換したい。いや完全に男性になるのは違うな。女性としての快楽も捨て難いと思うあたり流石存在意義を性行為に見出してたクソ女って感じだ。自由に性別を変えたい。もしくはふたなりになりたい。いっそ性別をも超越した何かになりたい。世の中から性別という概念が消滅すれば、異性愛とか同性愛とかいう概念も消滅すれば、もっと生きやすくなるのかな。まあどうせそんなこと絶対にないから分からないけど。あーもうせめてバストサイズがもう少し控えめだったら男装もできるのにな。男装したからといって女からモテることはないだろうけど。そもそも性別がどうであれこの人間性である。人間性がもうどうしようもないくらい腐りきっているからもうどうにもならないね。ナムアミダブツ。

結局幸福って何なんだろうな。一応高い学費出してもらって学校に通っている時点で他人から「恵まれてる」「幸せなことだよ」「親に感謝だね」と言われるし実際幸せなのかもしれないけど。じゃあ何がこんなに辛くて不安で死にたくてこんなに自己肯定感も何も無い人生を歩んでしまっているのかというと結局「僕が悪い」としか思えないし、たぶん実際そうなんだよな。罰当たりとしか言えないような人間なんだよな。性格も悪ければ頭も悪くて容姿も悪くて、というかそもそも良い所なんてひとつも見当たらないから困ったものだ。生きていても愛されるどころか誰からも相手にされないし、結局他人の迷惑にしかならない人間なんだよな。
というか僕、ちゃんと存在してるのかな。顔が濃いくせに存在感は薄すぎるんだよな。透明人間かな。幽霊だったのかな。死んだことに気付いてないのかもしれないな。怖いな。悲しいな。それは嫌だな。存在を証明するってどうやるの。やり方が分かったところできっとやる気力なんて無いんだけど。寂しいな。もう誰でも構わないから僕の名前を呼んでほしいな。そんなに良い名前でもないけど。ただ呼んで貰えるだけでも今はとても幸せに感じると思う。あわよくば頭も撫でてほしいです。しかしそれは贅沢ってやつだな。身の程知らずめ。


こうやって夜勤の休憩中に意味不明な文字列を打ちまくる訳なのだけど。更新の度にどんどん文章が適当になっていくからさらに意味不明が加速する。読みづらいだろうに。果たしてここまで読んでくれる人はいるのか。いたらめちゃめちゃ嬉しいと思うけど同時に申し訳ない気持ちでいっぱいになっちゃうな。本当に申し訳ございません。死んで詫びるからどうか許してね。

雑記/それは或る夜の出来事






酷く憂鬱である。


何が原因かは知らない。いや多すぎて分からないのか。それすら考えるのが嫌になるくらい、とにかく思考が苦痛になる。
じゃあこんな記事書くなよ、大人しく寝てろよ、とは思う。いつも通りこうやって感情の整理をするつもりなのだろう。こんなボロアパートの六畳の暗がりの中でピカピカ光る画面を凝視して文字を打つ。


台風か。嫌だな。

この頭痛はストレス性のものか、気圧によるものか、はたまた海外から取り寄せたダイエットサプリの副作用か。



あー、あの時あそこかあそこで飛び降りるべきだったなーとか、もっと強く首締めるべきだったなーとか、もっと深く切ってもっと浴槽に浸けておくべきだったなーとか、クソみたいな後悔をぼんやりした脳内で並べてみたりする。未遂にもならない未遂ばかりだ。いやもっと本気出せよ、と思う。結局かまってほしかっただけなのだろうか。しかしそう考えてしまうと自分の悩み苦しみを全部否定してしまう気がする。その時その時で、相当苦しんでそういう行為に走ってしまったはずなのだ。

でも結局何が正解なのかは分からない。死ななくてよかった、と心底思うことが出来ない自分は罰当たりなのだろうか。しかしこんな人間は生きていることで何かの役に立つこともなく、それどころか誰もが普通に出来ることすらロクに出来ないのだ。何処でなにを間違えたのか。そもそもなにひとつ正解を選んでこなかったのか。脳味噌が結露してるような不快感のせいで、いくら考えても全く分からない。




人生の終着点くらいは自分で選びたいな、と思ったりする。病気で死ぬくらいなら自分で死期や死に場所を探して静かに死にたい。明日にでも財布と携帯だけ持って何処かへ逃避行してしまおうか。誰も知らないうちに誰も知らないところへ。恋人や数少ない友人にも何も言わずに。どこへ行こうか。そんなこと考えても結局「単位が、卒業が」と重い足を引きずって学校へ行くのだろう。情けない。




目が冴えてしまっているのは画面の明るさのせいか、ダイエットサプリの副作用か。




ああ、「どうすりゃいいんだ」「どうすりゃよかったんだ」と思うようなことばかりだ。自分の意見というものを一切持たずに他人の顔色伺いながらフラフラ生きてしまうとこうなるのか。まあどうせこの脳味噌ではロクな意見捻り出せないだろうけど。せいぜいウジウジ後悔して苦しみ続けろバーカ。生まれてきた罰だよバーカ。なんで生まれてきたんでしょうねぇ。なんでこんな人間になってしまったんでしょうねぇ。幼少期は天真爛漫で明るい素直な子だったはずなのに。僕が親戚達の前で未だに猫被る癖があるのは、あの幼少期からこんな大人になってしまったのかと失望されるのが非常に怖いからである。被るどころかもはや猫まみれである(実際の猫まみれを想像したらちょっと癒された)。はぁ、こんな人にはなりたくなかったよ。




もしピストルなんかを所持できるようなら真っ先にこめかみに突き当てて引鉄を引くのだろうか。結局怖くて出来ない、とか言いそう。そりゃ国道の歩道橋ですら飛び降りられない訳だ。あそこで落ちてりゃ丁度大型トラックに轢かれてエンド出来たろうに。まあそれはいいとして。こんな終わりのない憂鬱を何年も何年も何年も引きずってグチャグチャと掻き回すポンコツ脳味噌は今すぐにでも撃ち抜いてやりたい。苦しむ原因を自身で処理してやりたくなる。そんな気持ちだけは御立派だ。出来ないくせに。




例のダイエットサプリの成分がカフェインと似たような働きをするらしい。間違っても就寝前に飲んでいいものでは無かったようだ。何やってんだろう。眠いのに眠くない。




このまま朝を迎えてしまうのだろうか。
これ以上意味のわからないことをグダグダ考えるのはやめて、早く眠りたいものだ。

優しい雨



ちまなこです。今朝体重計に乗ったらまた1キロほど痩せていました。これでもうマイナス6キロ到達(4月比)。普通にダイエットをしているつもりではあるが、もしかしたらただの不健康野郎に成り下がっているのでは。死ぬのかな。まあ死んでもいいか。そんな死に方もアリだよね。





6月もいつの間にやら最終日である。


ああもう【悲報】上半期終了のお知らせ…って感じだ。もう2017年もあと6ヶ月だよ。早いよ。(例年の如く)まだ何ひとつやり遂げてないよ。やり遂げるって何を?知らないよそんなの!




突然だが、僕は雨が嫌いである。


「洗濯物が外に干せない」なんて主婦感溢れる悩みもあるが、それよりも天候(主に気圧)に左右され過ぎる体質のせいで頭痛頭痛アンド頭痛に苦しめられるから嫌なのだ。もしかしたら頭痛薬だけが僕の友達なのでは?さすがバ〇ァリン、半分が優しさで出来ているだけあるよ。君は本当に優しいね………



いや、雨が嫌いな理由はそれだけではない。

傘をさすのが極端に下手すぎるのである。




「僕、傘をさすのが下手なんだよね」と言うと周囲の人間は大抵「傘に上手いとか下手とか無いだろう」とケタケタ笑うのだが、傘をさしてきたはずなのに着衣水泳レベルで濡れ果てた僕の姿を見ると皆黙って可哀想な目でこちらを見るのである。だから言ってるだろ!っていつも思う。


傘すらまともにさせないまま人生終わるのかと思うと何とも惨めな気持ちになるので色々試した。傘の角度とか持ち方とか。たぶん大学4年間をこれに費やした。

お陰様で以前よりマシになったようだが、何をどう直した結果マシになったのかが全くわからない。なんでだよ。
「これをこうすれば!濡れないぞ!」みたいな閃きもなくナントナク改善されてもなんか納得いかないぞ。まあ別にいいけどさ。



そういう理由で雨が嫌いなのだが、雨が降っているのを窓際で眺めるのは結構好きかもしれない。屋根から水滴が落ちる様子、それが路上に転がる空き缶に当たる音、水溜まりに入ってはしゃぐ幼稚園児、そういった情景をたまに部屋の窓から咥え煙草で眺める。室内か屋外、いる場所が違うだけでこんなにも感じ方が違うのかと感心する。

むしろ頭痛や傘などの不安がなければ大雨の日に「裏の水路の様子見てくる!」なんて言って外に飛び出すタイプかもしれない。自分が今よりほんの少し元気だったら、そうやって死の危険がある場所にガンガン飛び込んでいくスタイルになっていたかもしれない。いや元気なら元気に生きろよと思うが、たぶん根底の部分は変わらないので「死にたい…死ぬしかない…」から「おっけー!死ぬね!」へ変わる程度だと想像がつく。あーもうダメじゃん。




雨と言えば、僕は邦楽のロックが好きなのだけど、曲で歌詞に雨が出てきたり雨がテーマになっている曲は良曲が多い気がする。そう思って今回のタイトルを怒髪天の曲名にしたり。「こんな調子で哀しい事も、楽しい事さえも無くなりゃいいんだ」っと。
雨って小説や漫画でも心情の描写とかによくイイ感じに使われるから良曲が多いのも当然っちゃ当然なのかもしれないけど。



ああ午後も授業授業それからまた授業である。帰る頃には雨やんでないかな。それかせめてバイト行く頃にはやんでいてほしいな。一々予測変換で「病んで」になる。病んでるのはいつもの事だから仕方が無いか。午後もカラ元気で下手糞スマイルでやり過ごそう。そんな気持ち。