噛み潰した苦虫が奥歯に詰まって取れない

ほろ苦いどころじゃねえんだよな

サボテン

たとえ間違いだとしても。僕自身がそう思わなければ、それは間違いではないということだ。そうだ。間違ってないと思えばいい。
まぁ飽く迄「僕の中ではな!」ということだが。



こうやって自分を正当化し続けて早23年。お父さんお母さん、僕はこんなどうしようもない人間になりました。
前向きなことを言うのも得意になりました。口先だけならなんだって言えるからね。



ほんのちょっと違う道を歩めば僕だってクソみたいな不良になれたんだと思う。 そんな勇気があればね。
逆に僕の苦手だったクソみたいな不良達の中にも内面僕みたいな奴がいるのかもしれない、と思うと少しだけ許せそうな気もする。人間やっぱり話してみないとわからないことが沢山あると思う。話すのが苦手、それだけで少し損をしているような気もする。だから何だって話。


一人酒して寝落ちし、起きてからまた余った酒とつまみを喰らい、気が付けば昼過ぎ。時間の使い方が贅沢なのか無駄なのか。
とりあえずシャワーを浴び、身だしなみを整えて外に出る。なんだか賑やかだなと思ったら今日は夏祭りの日らしく、ちょっとは夏らしい気分を味わいたくなったので出店で串焼きを購入し喰らう。口腔内がすぐボロボロになったのはきっと日頃の栄養不足のせいだろう。少し反省した。
本当はこのまま買い物に行くつもりだったのだが、人混みに疲れてカフェでだらだらと煙草を吸っている。体力の消費スピードが早すぎる。
たまの休日、こんな日があってもまあいいか。いいよね。ダメと言われても「すみません」って言いながらこんな過ごし方をすると思う。




「逃げ場がない」
最近の生活でやや頻繁に感じることである。まぁ何をもって「逃げ場」というのかは自分でもよくわかっていないが。
「どこにも逃げられないなら、立ち向かうしかないじゃないか」
その一心でこの二週間を乗り切ったことには自分でも驚く。本当に逃げ場がないと、こうなるのか。火事場の馬鹿力か。
実際乗り切ろうとする最中、ほんの少しの救いの手が差し伸べられたりもした。今考えるとある意味「魔の手」だったのかもしれない。でもそれでここまで来られたのだからきっと良かったのだろう。間違いじゃあ、ない。



いよいよ、なところまで来た。この先のことを「前進」というのか「陥落」というのかについては、知らないし知りたくないし知らないふりをしたい。なるようになるし、なるようにしかならない。
落ちようが進もうが自分ひとりでどうにでも出来る、という根拠のない自信がある。これは一種の諦めなのかもしれないが。

何を自由というのかは人によって異なるかもしれないが、これを自由というのなら今後何があっても死守してやろうと思う。洗練された都会さはそこには無く、むしろ血生臭く泥まみれな気分だが。野良犬のような自由さだと思うことにする。きっと我が生死すら掌中にあって、投げ出すも握り締めるも僕自身が決められる筈である。



ただ、いまは、自分の人生を全力で生きて、本当に死ぬしかなくなったら潔く死んでやろうという気持ち。
今も「死ぬしかない、もう無理だ」という気持ちは強いが、それが全身を蝕むまではまだ時間がある気がするのだ。



ここ暫くきっと色々なものに奪われていた「自分らしさ」みたいなやつを、全力で奪い返してやろうと思う。手段は選ばない。死にたいけれど、死ぬのはそれからだ。逃げてばかりの人生に少しは自分から立ち向かうのもアリなのかもしれない。自分のペースで。